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不死断ちEDのあと
しゅこ、しゅこ、しゅ…、しゅ、しゅ
木を彫る音。木屑を払う音。
葦名城下の外れにある荒れ寺の本堂――といってもそれは隙間風の強い廃寺に近いものである、に響く。彫音は孤独で浮世離れた音色をもつ。それは彫るもののもつ業や因果、そういったものに所以しているのかもしれない。
この音が好きな変わり者もいる。ここをよく訪れるエマがそうだった。
城での生活、薬師の弟子としての仕事、それが嫌になるとよくここに来た。木の彫られる音と、宙にまう木屑の香りが好きだった。
エマが来ると、賑やかなこった、と木を彫るものは茶化したがエマは知っていた。わかりにくいがそれは笑顔なのだ。
しばらく彫音がしなかった時期もあった。
だが最近、またここに住み着くものがあった。
以前いた仏師よりだいぶ年若の男だ。同じく左腕を亡くしている。そして同様に丸くなって手元だけが明るくなる蝋燭の灯りの下に座り込んでいる。遠目より後ろ姿を見れば、隻猩の生まれ変わりのように見えた。
男は、戒名は持たぬ。だが、前には「狼」と呼ばれていた。ならば「隻狼」でいいでしょう、エマはそういい男を隻狼と呼んだ。
無口だった男は主と使命を亡くしさらに無口になったらしい。そんなエマの言葉にも意識をくれることはなく、一人堂に沈黙とともに篭っていた。
葦名の地に一人残されたとき男は刀をすてた。
ただ無様に生かされた、その理由がわからずにいた。
足は荒れ寺に向かった。そしてそこで見たのは、持ち主を亡くした彫り物道具。
役目をなくし取り残され道具一式を自分と重ねてみた。
見よう見まねで彫ってみた。
木を彫れば、思い出がよみがえった。
それからというもの、一日中、仏を彫っている。
彫っても彫っても男の手は止まらない。
男は数え切れぬほどの殺生をしてきた。その全員を成仏させるためにと彫っても一生涯で彫り終えることはないであろう。
彫っている時間が、供養している時間が、果てしないほど、取り残され生きている自分には丁度良い。生きるために課せられた行に思えた。
しゅこ、しゅこ、しゅ…、しゅ、しゅ
木を彫る音。木屑を払う音。
「あら…」
エマが訪問したおり、男は彫り物をしていた。
すでに仕上がったらしいひとつの仏が男の隣においてある。
その仏の顔には見覚えがあった。
―其処許、それがしをつかい刀の修練をせぬか
仏は今にもそう話だしそうに見える。
それは前に荒れ寺にいた男だ。忍びだったころの隻狼はその男のもとに足繁く通っていた。
エマは遠目に二人を見たことがある。ふたりは始めこそぎこちなかったが徐々に親しくなっていたようだ。男は狼に呆れるほど優しかった。相棒のようなものだったのかもしれない。身寄りのない死ねないふたりという境遇が似ていて親身にさせたのかもしれない。ただ何度も手合わせをしていたからかもしれない。
エマにはわからない絆があるようだった。
仏になった男の顔は柔和そのものだ。
狼にはあの男はこのように見えていたのか。
「よう、似ております」
今は木彫りの仏となり狼の手元をみている。
―其処許、隻猩殿ににてきておるのう
仏はそんなことを言っている顔であった。
次には鬼の顔らしいものを彫った。男は思ったよりうまく行った気がした。それをまた並べておくと、訪ねてきたエマが、
「あら、見覚えのあるお顔」
とその鬼の顔をした仏をみて呟いた。
次の日には仏頂面の若武者の仏を彫る。鬼のそばにおいたら鬼が嬉しそうな安心した顔をしていた。エマはそれをみて、ふたつの仏の前で手を合わせていた。
次の日には猿を二匹、番いだった。雌のほうに花を持たせてやる。
次の日は梟を、うまくいかずに何度か手直ししたが完成したら彫りすぎてしまったのかおもったより小さくなってしまった。だが、これはこれでいいと男は思った。
枯れた桜の枝を持たせる。
それをエマは見つめ、やはり手を合わせていた。
そしていまは少年を彫っている。
手が感触を覚えているうちに、必死に彫る。
しかしそれはなかなか思うような形になってくれない。
ここまで迷うことなく彫れていたのに、これでは成仏できない。
「毎日で疲れませんか」
エマがまたやってきた。
「少し気分転換をされてはいかがですか」
エマは男のとなりに座り、男の手元を見た。彫りかけの仏がいくつもあった。
微笑んでいる少年、思案顔の少年、得意げな顔の少年、苦しそうな顔の少年、泣いている少年。
どれもよく彫れていた。とてもよく観察されている。
男は懐のなかに手をいれると、ちいさな御守を取り出す。
御守は男の汗と血で汚れていた。それを手にし感触を確かめるように指の腹で撫でると、懐に仕舞う。そして、また彫りだした。
エマはそれに見覚えがあった。
生前に九郎がエマに渡してくれたものだ。
『狼は私に…、これを返してくれたが、狼がなんと言おうと持っていてもらえばよかった』
そのときに見せてもらった御守だ。
九郎は狼は死んだと思っていたようであった。弦一郎に戦に竜胤の力を使うことを迫られ苦しんでいた時期でもあった。
『九郎さま、狼殿は生きておいでですよ』
エマはこっそり、九郎に耳打ちする。
『本当か?』
『はい、今は荒れ寺にかくまわれております』
『そうか…生きていてくれたのか…』
辛そうだった九郎の顔に安堵の色が浮かぶ。
『ただ、左腕を亡くされました…』
『そう、であったか…』
九郎は目を伏せ、しばらく黙ったあと、表をあげる。
『エマ殿、これを』
『九郎さま』
御守を差し出される。
『エマ殿、私はやはり狼にもっていてほしい。エマ殿は荒れ寺に行かれることもあるであろう。狼にこれを返してはもらえぬだろうか』
狼に加護を…与えてやってくれ
そう御守に念じていた。
あのときのものだ。
お互いを深く思い合う主従であった。
九郎が狼を思う様は傍でよくみていた。しかし狼もそれ以上に思っていたのだ。
九郎を命を自らの手で奪うことになってしまった今、困惑し、自分の気持ちの整理がつかぬほど追い詰めるほど。
「これはお主に」
エマが考えにふけっていると、こちらに差し出されるものがある。
それは特別なのか、袱紗に包まれていた仏だった。開いてみると、愛嬌のある顔の仏が鎮座していた。座り込む猿、に見える。
「これは」
エマは仏を前に言葉をなくしていた。
「大手門で、怨嗟の鬼を斬った」
「…そう、でしたか」
エマは仏を手に取る。男の体温なのか温もりを感じた。
「いただいてよろしいのですか」
「そうしてもらったほうが、仏も嬉しいだろう」
「ありがとう、…ございます」
湿った静寂の中、また木が彫る音がきこえた。
次はどんな顔の少年になるのか。エマは受け取った仏を手に拝みながら、浄土へ思いを馳せた。
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